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2012年10月29日 (月)

南三陸町へ行ってきました

半年振りに被災地(南三陸町)へ行きました。
瓦礫の山は、以前より幾らか片付いた。
プレハブのお店が増えて活気づいてきた。
家の跡を散歩するおばあちゃんに笑顔も。
復興は進んでいる。
しかし、復興はしていない。
目に見えるところは、修復されている。
しかし、見ないところは放置されたまま。
「復興」って、何て曖昧な言葉なんだろう?
どこまで行けば、「復興」と云えるのだろう?
亡くなった人々は、戻らない。
大切なお母さんを失ったリナちゃんの心は?
復興は、終わらないのか?
いや、ゴールを決めればいいのさ。
ただ、ボランティアが停まるとゴールは来ない。
そんなことを感じた今回のツアーでした。
最近ブログ更新が滞っている。
これは、facebookからの転載。

2012年6月 2日 (土)

平ボラコーディネーター研修会

保健センターでの研修会へ出かけた。
石巻社協の阿部さんの講演は、学ぶことが多かった。

非常時の対応について転記しておく。

1.各部署での職員の安否確認と報告
2.市役所との情報交換と被害情報収集
3.市役所からの災害VC設置要請(3/13)
4.災害VC設置(3/15 専修大学)
5.資機材の調達 ⇒ 水害用
6.避難所支援活動
7.町内会長/行政委員への活動周知
8.ボランティアの確保
9.NGO・NPOとの連携

もちろん、これらが出来るための準備事項がある。
それに何より、自分と家族が生きることだが。

石巻市もそれなりの準備はしていた。
それでも3800人もの犠牲者を出してしまった。
よく学び、実行せにゃならぬ。
体験したくはないが・・・。

2012年3月 7日 (水)

大津波のあとに、槌音

ヒルズへ出かけた。
森ビルのKさん企画の復興支援イベントに参加。

森元、大久保監督による記録映画。
震災直後の町の様子をとらえた作品だ。

荒浜、湊、北上、そして大槌。
去年ボクが行った場所の3月の様子を確認した。

静かな映像で、被災地への気遣いが感じられた。
在りし日の大槌の映像が、ちょっと涙を誘う。

そしてトークショーで締めくくり。登場したのが、監督と芳賀政和さん。
「立ち上がれ!ど真ん中・おおつち」の代表。

現場で苦闘する人の言葉には、重みを感じる。
1万円の支援を決意した。三陸の恵み~シャケの復活を願って。
単なる義援金ではない。

いま必要とするところへ届けるのだ。

2012年2月 4日 (土)

ボランティア報告会

勤労会館へ行った。
3人の講師の一人として。

何を伝えようか?
纏まりがつかないまま、始まってしまった。

3.11以来、この目で見て感じたこと。
それをありのまま伝えればイイのだ。

あっという間の20分だった。
いや、少しオーバーした。

思い余って泣いてしまった。
何という不覚。

何とか無事に終わった。
KAさん、KUさんのプレゼンも素晴らしかった。

県の作文コンクール授賞作品の発表もあった。
中学生とは思えぬ、立派な内容で感激した。

ここに来て、よかった。
色々な出会いとその絆を感じた。

これからも関わって行こうと思った。

2012年2月 3日 (金)

報告会の準備

プレゼンは、月曜日に提出した。
早めにやっておいてよかった。

今週は、仕事に追われていたからね。
さて、このプレゼンで何を喋ろうか?

それが決まらない。
クタクタで、原稿を書く気にもなれない。

自分でやったことだから、言葉は持っている。
その場の雰囲気で、時計を見ながらやろう。

本当はいけないんだけれど、こういうの。
さあ、明日は頑張ろう!


2012年1月29日 (日)

震災ボラ報告作成

約束通り描きあげた。
全14ページ、ちょっと多すぎ。

20分以内に喋れば、問題はない。
この内容で果たして何が伝わるか?

ボクが、どこへ行ったかということ。
そのくらいのものかもしれない。

まあ、それでもいいや。
もう一歩進めると…。

東北へ行ってみよう、という方が現れること。
そう、支援者の輪を拡げることだね。

そういうヒトが、出てきたら合格判定しよう。
自分なりに整理もできたし、よい機会だった。

おッと、まだ終わっていない。
今週末、自分の言葉で説明しなきゃ。

それと、今年のロードマップも。

2012年1月21日 (土)

ボランティア報告会打合せ

2月に市のボラ協主催イベントで報告をする予定。
その段取りと準備の打合せに福祉会館へ行く。

ボク自身がこういうことをするとは…。
1年前なら、想像すらできなかったであろう。

20分間の持ち時間で何を話すかということだ。
市民の方々が対象なので、難しい話は避けたい。

去年、4回行った被災地支援について語る。
自分の心境の変化についてお話ししようと思う。

何も特殊なことをしているわけでもない。
この目で見て、感じたことを素直に伝えよう。

ニュースでは伝わらない、東北地方の空気。
なぜ、ボランティアを始めたのか。

やってみたいけれど、やれないヒトも多勢いる。
そんなヒトたちの新たなきっかけになるような。

そんな話が出来たらいいかな?
なんてことを考えてみた。

石巻での住宅の掃除、田んぼの瓦礫撤去。
遠野での流された写真の整理と、100人サンタ。

言葉に纏めるとたったの2行だけれど。
それぞれが、意味の深い活動だったと思う。

伝えることも大切なこと。
それに、自分自身の気持ちの整理にもなる。


2011年12月25日 (日)

遠野から東京へ

今日はクリスマス。
しかし、帰らねばならない。

まだまだ、サンタでいたいのだが。
明日の仕事を休むわけにいかない。

道の駅へ寄道して、一路東京へ向った。
遠野の銀世界を後に南へと。

3人のボラ仲間。
一人の同僚と、お友達。

へんてこりんな5人のメンバーだった。
でも、今では震災の「絆」で繋がった同志 。

次は、仙台ハーフマラソンに参加する予定。
5月の予定だから、その前にもう一度行くかな?

次、自分にできることを考えて行こう。
できれば、3月11日の前に行っておきたい。

2011年12月24日 (土)

陸前高田の仮設住宅を訪問

クリスマス・イヴ、2日目のサンタ。
陸前高田を訪問した。

昨日の大槌町よりも少しだけオープンな感じ。
1件ずつ、扉をノックしてプレゼントを差し上げた。

自治会のイベント会場にも行った。
ここでも沢山の子供達に歓迎された。

餅つきの途中で、温かい餅米をいただいた。
さすが東北の米は美味い、おかずはいらない。

でも、もっと印象に残ったシーンがある。

部活から戻った中学生にプレゼントを渡した。
受取って会釈をしてくれたけど、無表情だった。

あの子は、お母さんを流されて失ったそうだ。
そうだったのか、・・・。

ボクも母を亡くしているから、心情はよく分かる。
まして、津波に流されて命を落とされたなんて。

この悲しみは、永遠に消えることはない。
これを背負って自身が強くなって行きて行くしかない。

残念だけど、彼に話せる言葉が見つからなかった。
泣きたかったけれど、涙は堪えた。

今日のボクは、サンタだから。
それから、・・・。

黄色いハンカチを掲げているお宅も沢山あった。
今も大切な人を待ち続けているのだ・・・。

2011年12月23日 (金)

100人サンタの1人

東京から7時間半、遠野に着いた。
最後の30分は、雪道での運転だった。

ボランティアセンターの中もさすがに寒い。
部屋で着替えをして、サンタに変身。

朝一番の仕事は、みかん箱の積み降ろし。
磐田の高校生たちが届けてくれた静岡みかん。

そして、皆さんからのプレゼントの積込み。
お菓子がたくさん詰まった段ボール箱。

これを届けに大槌町へ行った。
散在する仮設住宅を6人で巡回する。

ここでは、玄関ノブに掛けてくるとの指示。
ノックして声をかける必要はないとのこと。

それでも、2件の家からおばあちゃんが出て来た。
笑顔で丁寧にお辞儀をしてくれた。

ボクも深々と頭を下げた。
お二人とも、生きていれば、母さんくらいの歳。

時間があれば立寄って、肩をたたいてあげたい。
この寒い地域で1人暮らしをしているんだ。

ニュースだけを見てもこの空気は伝わらない。
来て、感じることが大切だと思った。